高市早苗首相が「台湾有事は存立危機事態になり得る」と国会で答弁してから、2026年11月7日で1年を迎えました。中国政府は答弁の訂正を改めて要求し、日本政府は台湾に関する従来の立場に変更はないと説明しています。日中関係は、水産物の輸入停止や軍民両用品の輸出管理、人的交流の停滞などを抱えたまま、改善への明確な道筋を描けていません。
一方、日本企業の商品やキャラクターは中国で根強い人気を保ち、民間レベルの交流を再開しようとする動きもあります。台湾海峡の安全保障と経済関係をどう両立させるのか。答弁から1年という節目に、日中双方の主張と日本への影響を整理します。
台湾有事答弁から1年、日中関係はなお厳しい状況
問題の発端となったのは、2025年11月7日の衆議院予算委員会です。高市首相は、台湾を中国の支配下に置くための手段として海上封鎖や武力行使などを挙げ、「戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、存立危機事態になり得るケースだ」と答弁しました。
存立危機事態とは、日本と密接な関係にある国への武力攻撃によって、日本の存立が脅かされ、国民の生命や自由などが根底から覆される明白な危険がある事態を指します。政府が認定すれば、必要最小限度の集団的自衛権を行使できる可能性があります。
高市首相は同時に、認定の可否は実際に発生した事態について、政府が情報を総合して判断すると説明していました。しかし、中国側は日本の首相が台湾情勢と自衛隊の対応を具体的に結び付けた点を問題視しました。
中国外務省の郭嘉昆報道官は2026年11月6日の記者会見で、現在の日中関係が厳しい状況にある責任は日本側にあると主張しました。高市首相の答弁について、台湾問題への武力介入を示唆したものだとして、訂正を重ねて要求しています。
これに対し、木原稔官房長官は同日、日本政府の台湾に関する基本的な立場は1972年の日中共同声明に基づくものであり、変更はないと説明しました。存立危機事態に当たるかどうかについても、個別具体的な状況に応じて判断するという従来の見解を維持しています。
中国は渡航自粛や水産物輸入停止で圧力
高市首相の答弁後、中国政府は外交上の抗議だけでなく、日本との経済や人的交流に影響する措置を相次いで打ち出しました。
中国政府は2025年11月14日、自国民に日本への渡航を控えるよう呼びかけました。同月19日には、再開に向けた動きが始まっていた日本産水産物の輸入を事実上停止しました。日本の水産業者にとっては、中国市場への輸出正常化が見え始めた時期での再停止となりました。
さらに、2026年1月6日には、日本向けの軍民両用物資に対する輸出管理を強化しました。軍事利用や日本の軍事力向上につながる用途への輸出を禁じる措置で、日本政府は特定の国だけを対象とする対応は国際的な慣行と大きく異なるとして抗議し、撤回を要求しています。
中国は国際社会への働きかけも進めました。衆議院の調査資料によると、中国の国連大使は2025年11月と12月に国連事務総長へ抗議書簡を提出しました。王毅外相も各国の外相らに対し、「一つの中国」原則への支持を訴えました。日本政府も国連への反論書簡や各国への説明を通じ、外交上の応酬を続けています。
対立は安全保障だけにとどまりません。観光、水産物、文化イベント、重要鉱物など、日本の暮らしや企業活動に近い分野へ波及しています。政治的な発言が経済的な措置につながる「経済的威圧」への備えは、日本にとって長期的な課題になっています。
日本企業の中国進出は2年前から約22%減少
日中関係の悪化が続くなか、中国で事業を展開する日本企業にも変化が表れています。
帝国データバンクの調査としてTBSが報じたところでは、中国に進出する日本企業は1万118社で、2年前と比べて約22%減少しました。ただし、この減少には中国経済の減速、人件費の上昇、米中対立、供給網の見直しなど複数の要因があります。すべてを高市首相の答弁だけに結び付けることはできません。
文化交流への影響は、より直接的です。中国で日本人アーティストの公演を手がけてきたイベント事業者によると、以前は上海だけで年間約200公演が行われていたものの、現在はゼロになったといいます。政治関係の冷え込みによって、許認可や開催判断が難しくなっている状況がうかがえます。
一方で、日本の商品や文化に対する中国の消費者の関心が失われたわけではありません。中国各地では日本発のキャラクター「ちいかわ」の関連店舗が人気を集め、日本企業の新商品発表会にも多くの中国メディアが参加しています。
政府間関係と市民の消費行動には温度差があります。日本企業にとっては、中国市場から一律に撤退するか残留するかという二者択一ではなく、政治リスクを管理しながら事業を継続できるかが問われています。
日本政府は重要鉱物の代替供給源を確保へ
日本が特に警戒しているのが、レアアースなど重要鉱物の供給です。重要鉱物は、半導体、蓄電池、電気自動車、通信機器、防衛装備品など幅広い製品に使われています。
中国が軍民両用品の輸出管理を強化したことで、日本企業には原材料の調達が突然止まるリスクが改めて意識されるようになりました。供給が短期間途絶えただけでも、部品の生産や完成品の出荷に影響が及ぶ可能性があります。
茂木敏充外相は11月6日の記者会見で、日中関係が厳しい状況にあることを認めたうえで、重要鉱物を含むサプライチェーンの強化を進める考えを示しました。同志国と連携し、鉱山開発や精錬設備への協力を含めて、代替供給源の確保を加速するとしています。
重要なのは、中国との取引を直ちに切り離すことではなく、特定の国への過度な依存を減らすことです。鉱物の産出国を分散するだけでなく、精錬や加工、備蓄、リサイクルまで含めた供給網を国内外で構築する必要があります。
企業側にも、調達先の把握や代替部品の検討、在庫水準の見直しが求められます。日中関係が安定した場合でも、経済安全保障を理由とする輸出規制が将来なくなるとは限らないためです。
日本の台湾政策は変わったのか
中国側は高市首相の答弁を、日本が台湾問題への軍事介入を表明したものだと批判しています。一方、日本政府は台湾に関する基本方針に変更はないとの立場です。
1972年の日中共同声明で、日本政府は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認しました。中国側が台湾を自国領の不可分の一部とする立場について、日本側は「十分理解し、尊重する」としています。
同時に、日本政府は台湾海峡の平和と安定が日本と国際社会にとって重要だと繰り返し表明しています。台湾周辺で武力衝突や海上封鎖が発生した場合、南西諸島の安全、在日米軍の活動、海上輸送路、半導体供給などに影響が及ぶ可能性があるためです。
高市首相の答弁は、こうした影響が一定の条件下で存立危機事態に発展する可能性に言及したものです。しかし、実際に自衛隊がどのような対応を取るかは、武力攻撃の有無や規模、日本への危険、米軍の活動などを踏まえて判断されます。答弁だけで自動的に武力行使が決まるわけではありません。
政府には、抑止力を維持しながら偶発的な衝突を避ける説明が必要です。具体的な想定を示しすぎれば中国の反発を招き、曖昧にしすぎれば国民の理解や有事への備えが進まないという難しさがあります。
関係改善の鍵は首脳・外相級の対話
高市首相は11月6日、日中間の共通課題について意思疎通を図り、国益を守るための対話を進める考えを示しました。茂木外相も、懸案があるからこそ、さまざまなレベルで意思疎通を続ける必要があるとしています。
中国側は答弁の訂正を求め、日本側は従来の立場を変えていません。このため、どちらかが全面的に主張を取り下げる形での早期決着は見通しにくい状況です。
それでも、偶発的な軍事衝突を避ける連絡体制、在留邦人の安全、日本産食品の輸入、重要鉱物の取引、観光や文化交流など、協議を止められない分野は数多くあります。政治的対立と実務協議を切り分けられるかが焦点です。
2026年10月には、中国のシンクタンクが日本の駐中国大使らを招き、日中経済をテーマとするシンポジウムを開催しました。北京の日本大使館では、日本語を学ぶ中国人学生の交流行事も行われています。限定的ではあるものの、民間や有識者を通じた接点は残されています。
台湾有事答弁から1年が過ぎても、日中関係の緊張は解消されていません。今後は、首脳・外相級の対話が実現するか、中国による水産物や軍民両用品への措置が見直されるかが重要な指標になります。
日本には、台湾海峡の平和と安全を守る立場を明確にしつつ、経済と人的交流への被害を抑える外交が求められます。対話を続けながら供給網の分散や邦人保護を進めることが、長期化する日中関係の緊張に備える現実的な対応となります。
まだコメントはありません。最初の一言をご投稿ください。